大人って割と「自分の人生を生きたい」とか「自分がやりたいことは何なのだろう」とか「自分らしく生きたい」などと考えません。
若い頃そういうことを考えてきた人でも大人になるにつれ、そういうことを考えることが少なくなります。
なぜなら「自分の人生を生きる」ってことを考えるって、例えば「人生とは?」とか「愛とは?」と考えるのと同じで、そんなことを考えるくらいなら、その日その日を大切に、楽しく生きた方がよほどマシだと思うに至るからです。
現代には流されるように就活をしていて、その中には「こんなんでいいのかな、もっと自分の人生を生きたいな」と思っている人もいるでしょうから、今回は「自分の人生を生きること」についてお話しましょう。
自分の人生を生きたいというのは非常に漠然とした悩みですが、なぜそう生きられないのかという答えは具体的に2つあります。
1つ目は、恥ずかしいという感情があるからで、2つ目は他人に良く思われたいという気持ちが働いているからです。
どちらの感情も誰もが持っている感情です。自分がやりたいことを存分にやって暮らしている人(自分の人生を生きているように見える人)も、恥じらいを持っているし、他人に良く思われたい(恥をかきたくない)という思いを持っています。
では、そういう感情を持っていても自分の人生を生きている人と、そうではない人との違いってなんでしょうか?
自分のことを「自分の人生を生きていない」と感じている人は、恥ずかしさに負けてはいけない時に負けています。
他人に良く思われることなど、どうだっていいシーンで、他人に良く思われようとして「いい子」を演じます。これだけの違いです。つまり、自分に正直になるべき時に正直になれていないということです。
自分の人生を生きているように見える人って、自分に集中すべき時にちゃんと集中しています。だから、「今は自分に嘘のない選択をしなくてはならない時だ」というのが勘で分かります。
「この件に関しては、他人にどう思われるかよりも自分に嘘をつかないことを優先させないと、後々大変なことになるぞ」というのが勘で分かります。
具体的な話をしましょうか。
冒頭に書いた「なんとなく就活」を再び例にとるなら、本当は就活をしている時に「何かおかしいぞ、わたしは本当はみんなと同じダークスーツを着て、みんなと同じマニュアルに沿って『御社に貢献したいです』なんて面接で答えたくないんじゃないのか?」と思った時に、就活を止めておくべきだったということです。
なぜならそういう思いを抱いてしまった時点で、その思いに正直に生きることこそが、真に自分を生きるということだから。それ以外の選択肢は全て「自分で自分に嘘をついている」ことになるから。
でもあなたは、学費を出してくれた親の手前、あるいは同級生に変な子だと思われたくないあまり、普通に就活して普通に就職してしまった。
これはある意味、今の日本において仕方のないことです。多くの人は20歳そこそこで自分が命を懸けてやりたいことなど持っていないし、友達に「あの子おかしい」と言われるのを恐れているわけだから仕方ない。
それに、済んだことをグズグズ言っても何も始まらないしね。
自己啓発的な綺麗ごとを言うのは嘘を言うことになるので、正直に書きますが、自分の人生を生きようと思えば、まず自分が何をしたいのか、どう生きたいのかを明確にすることです。
これがないと、何も話が始まらないからです。それが見つかれば、後は経済的なことと相談しながら、少しずつそれをやることです。
つまり、自分の人生を生きるというのは、漠然とした概念や自己啓発的標語が大切なのではなく、具体的に今日1日自分の気持ちに嘘をつくことなく暮らしたかどうか、が問題なのです。
因みに1つ言っておきますが、自分がやりたいことが見つからなくても、決して自分を責めないことです。
今の日本は「やりたいことをやる人生は素晴らしい」とか「あなたには何かやりたいことがあるはずだ」と言い過ぎです。
なぜ、適当に就職し流されるまま暮らし、やがて普通に結婚していく人の平凡な人生を素晴らしいと世間は評価しないのでしょう?
なぜ「君には何かできるはず!」とか「自分の人生を生きよう」なんてことを言いまくっているのでしょうか? そういう世論は、僕には何かの悪い宗教としか思えないのです。
平凡に就職し、平凡な結婚生活を送っている人がすごく立派な人に思える年頃になれば、あなたもきっと僕が言っていることが全身で理解できるようになります。
したいことをしなさいとか、自分の人生を生きなさいとか、そんな言葉に惑わされないことです。それこそ、自分の人生を生きなさい。
Written by ひとみしょう