人当たりが良く映る「謙虚な人」に憧れることは少なくないでしょう。謙虚な人には共通する特徴がありました。あなたもその特徴を習得して謙虚な人を目指してみませんか?
印象の良い謙虚な人になる方法をご紹介します。
あの人は謙虚だ、という風に人となりを表すときに使われる「謙虚」という言葉。それはポジティブな意味として捉えられ、「つつましい」とか「控えめ」なんて意味があるのは皆さんもご存じのはず。
ちなみに同じ意味として使われがちな「堅実」というのもありますが、こちらは「確実」とか「危なげがない」という意味であり、「謙虚」とはまた違うもの。「あの人は堅実だから、この仕事を任せても大丈夫」みたいな感じで使ったりします。
それでは「謙虚な人」にはどんな特徴があるのでしょうか?
「あ、この人、私より下だな」なんて感じで、よくわからない「格付け」をしてしまうこと、誰しも一度は経験したことがあるはずです。その善し悪しはさておき、謙虚な人はどんな相手に対しても平等に接することができます。
むろん、「謙虚な人」もそれを言葉や態度に出さないだけなのかもしれませんが、少なくとも人を傷つけるということはありません。
謙虚な人、と言われて最初に思い浮かぶ人物像。それはきっと「つつましい」人や「控えめ」な性格の人物でしょう。というより「日本人は謙虚」、なんて国際的に言われているくらいですから、日本人から見て謙虚な人というのは、恐ろしいほどの「つつましさ」を有しているということ。
「普通なら偉そうになるよね」という能力や地位がありながらも「つつましさ」を美徳にしている人こそ謙虚と言えるでしょう。
謙虚な人は物腰が柔らか。というより、地位や能力があるのに物腰柔らかな人物に対してはどうしても好感を抱いてしまいますよね。そして「謙虚な人だ」と思ってしまうのが人間です。
ドラマなんかでよく登場する、お偉いさんだけど優しいおじさん、なんかが分かりやすいかもしれません。
人間、他人の粗探しほど得意なことはありません。それが嫌いな相手であればなおのこと。嫌いな人のことほど詳しくなるという理由はここにあるのかもしれませんね。
そうではなく、とにかく人の良いところに目を向けるようにしてみましょう。人の悪いところを探しても、お酒の席でのネタになるくらいでしかありません。
聞いてもいないことをペラペラ喋る人っていますよね。自分の話を聞いて欲しいという欲求は人間誰しも持っているものですが、「自分語り」があまりにも長い人は謙虚とは言えないでしょう。むしろ謙虚な人ほど人の話を聞いて何かを学ぼうとするものです。
上記の続きになりますが、謙虚な人は「自分のことを話す」よりも「相手の話を聞く」ことに力を入れます。それは潜在的に「相手の話を聞いたほうが、自分の成長にとって何かしらプラスになる」と知っているからです。
逆に、自分語りをして得られるのは満足感。もちろんそれは悪いことではありませんが、謙虚な人を目指すのであれば相手の話を聞いたほうが吉。
謙虚であることのメリット、それは「集まってくる人間の質が良い」ということ。
人間に対して「質が良い・悪い」という言葉が適切でないのなら「似たような人間が集まってくる」と言い換えてもいいかもしれません。
謙虚な人間というのは、やはり好かれます。「媚びる」とか「好かれようとへりくだる」わけではなく、真の意味で謙虚であれば、そこに集まってくる人間もまた謙虚なのです。
それと「学び」という場面において謙虚さというのはかなりの武器。教えを乞う人間が謙虚であれば、教える側も力を入れて教えたくなるものです。
「謙虚なのは良いこと」であるのは確かですが、「謙虚さ」をはき違えてしまうと、自分の意見を言えない人間だと見なされてしまうこともあります。あとは、舐められてしまう可能性があるのも事実。
謙虚であることは、決して「空気に流される」とか「言いたいことを言わない、言えない」というものではありません。言わなくてはいけないこと、言うべきことはきちんと言う力を持たなければ、それを謙虚な人とは言えないはずです。
さて今回は「謙虚さ」とはどういうことか、というお話でした。
自己主張ができるのはとっても良いことですが、「自己主張が強いなぁ、この人」と相手に思わせないために謙虚さを武器にしてみるのもいいかもしれません。
いくら自分に能力があったとしても、相手から嫌われたらその能力を発揮する場面も失ってしまうわけですから。自分の能力を上手く使うための魅力、それが謙虚さなのです。
Written by センチネル