実は利己的?「いい人」や「優しい人」がモテないワケ

世間では「いい人や優しい人は異性からモテない」と言われていたりしますよね。特に男性の場合とか。

ですがモテない人の優しさはとは「利己的な優しさ」なのかもしれません。

今回は「いい人・優しい人」と「利己的」について考えてみました。

いい人、優しい人は世の中にたくさんいる

世の中って思いのほかいい人や優しい人が沢山いますよね。

何かを落としても後ろを歩いていた人が拾ってくれたり、道を聞いたら親切に教えてくれたり、困っていたら手を差し伸べてくれたりと、まあまあの優しさで世の中は回っています。

友人、知人、家族などは別としても、赤の他人に対して優しくできる人も結構いますし、アナタだって知らない誰かに優しく接した経験ぐらいあるでしょう。

だからこそ言いたいのですが、「いい人、優しい人」であったとしても、それだけでモテることはないです。だっていい人、優しい人は世の中にたくさんいるわけで、「顔が良い」とか「スタイルが良い」みたいな特別性はないわけです。

むしろ「優しさ」というのはけっこうな確率で皆々様に備わっている能力だと思います。

「いい人」になりたがっている人は「嫌われたくない人」

皆が笑顔で居られるようにする、場の空気を壊さないように努める、頼まれても断らない、人に嫌な思いをさせない。などなど「いい人になりたい人」の特徴を上げるとこんな感じですね。「いい人」になりたがっている人は「嫌われたくない人」もしこの特徴が、履歴書なんかの「長所の紹介」欄に書かれていたら、僕はこの人に対して「いい人」という感想を持つでしょうね。

そして「一緒に居てもつまらないだろうな」とも思ってしまうでしょう。

良く言えば空気が読める、悪く言えば人目を気にしすぎる。

「この人は相手を思いやれるスゴイ人」と言う方もいるかもしれませんが、僕からすると「いい人ではなくて嫌われたくない人」としか思えません。

「優しい人だね」って言葉は成績表の「大人しい子です」と同じ評価

皆さんは小・中学生の時の成績表を覚えていますか?

点数は思い出さなくても問題ありませんが、「先生からのコメント」みたいな欄になんて書いてあったか思い出してください。内申とも呼ぶのでしたっけ?

大抵の場合「得意不得意な教科」について書いてあり、そのあとに「アナタの印象」みたいなのが書いてあるはずです。

そして先生が評価に困る生徒(問題児という意味ではなく)の「アナタの印象」を読んでみると「○○ちゃん・くんは、大人しい子で……」みたいな文章から始まっています。

問題を起こすわけでもないけど、だからと言ってしっかりした子でもない。まあ言ってしまえば「どう評価していい子なのか謎」ということですね。

「優しい人」というのもこれと同じ。「どう評価していいのか分からない」わけです。「優しい人だね」と言っておけば当たり障りもないですし、むしろ妥当な評価。「優しい人だね」って言葉は成績表の「大人しい子です」と同じ評価ちなみに僕の成績表にも「大人しくて優しい子で……」みたいなことが書いてありましたね。始めはその評価に納得していましたが、「大人しくて優しい子で……」が4年間続いたので、「あ、コレ。先生が考えた定型文だ。季語とか枕詞だわー」とか思いました。

その優しさは利己的じゃない?

優しさとは「誰にでも手を差し伸べる」みたいな意味で語られることがありますが、あくまでも理想です。ただ、世の中には居るのでしょうね。そういう理想の優しさを持った人というのも。

しかし僕も含めですが、大抵の人は理想的な優しさを持つことなんて無理です。自分のことで手一杯。しかもたちが悪いことに「優しさの裏には見返りを求める気持ち」がチラチラと顔を出すこともあります。

上記してきた例で言えば、「人に優しくするには、自分が嫌われないようにするという見返りを求めているから」てことですね。

そんな利己的な優しさを持った人が異性からモテるかと言われると、まあモテないでしょう。嫌われない代わりに自分の個性を殺しているようなものですから、異性として意識できない以前の問題に、そもそも人間として魅力がないのです。その優しさは利己的じゃない?

さいごに

「いい人、優しい人」と言われる。

それは相手がアナタをどう扱えばいいか分からないからこそ、そんな言葉が出て来るのです。

Written by センチネル

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