綺麗好きとは言うけれど、単に綺麗好きな人と綺麗好きすぎる人は、どこに境界線があるのでしょうか。
綺麗好きな人であれば好感を持たれますが、あまりに綺麗好きすぎる人だと、「潔癖だね」と神経質に思われてマイナスなイメージを持たれることも。
自称「綺麗好きな人」にはなかなかわからない、綺麗好きな人と綺麗好きすぎる人のボーダラインについてご紹介します。
綺麗好きな人は、基本的には身の回りをきちんと整頓して、汚れなどのない清潔な状態にしますが、少しの埃や汚れなど多少のことには「ま、いっか」と目を瞑ることのできる心の余裕があります。
綺麗好きすぎる人は、自分の身の回りの整理整頓や生活は完璧、持ち物や着ているものに対しても、一糸の乱れも許しません。
完璧主義なので、ちょっとしたチリや埃がつくことが許せず、完全に無くなるまで取り除こうとするために、いつまでも片付けたり洗ったりすることが終わりません。
部屋を掃除したとき、どこまで掃除をするかで綺麗好きな人なのか、綺麗好きすぎる人なのかがわかります。
ただの綺麗好きな人は、部屋の中を掃除したときに見た目がきれいで、嫌な臭いもなく、五感が不快でなければそれで満足します。
綺麗好きすぎる人は、部屋の中が整頓されて清潔にすることはもちろんですが、さらに、目には見えない汚れまで気になり、それを想像して「今ある汚れが増えて、もっと汚れてしまうのではないか」、「この部屋は自分が思っているよりもはるかに汚いのではないか」などと危機感を抱いて、恐怖に怯えてしまいます。
見た目や臭いがクリーンになることでは満足できず、見えないところにある汚れにまで心配が及び、何度も洗ったりいつまでも整理整頓したり、落ち着きません。
綺麗好きな人も、清潔にするための行為を自分でコントロールできているなら問題ありません。
問題なのは、清潔にすることを、自分の意思でコントロールすることができず、やらずにはいられない、やらなければならないものだと自分を追い込んでしまっている人です。
このように考えてしまう人は、もしかすると強迫性障がいかもしれません。強迫性障がいは精神疾患の一種で、自分を責めて追い込み、自分で自分をどんどん苦しめてしまいます。
ひどくなると、ものに触ることが怖くなり、人と接することにも臆病になり、周りとの接触を絶って引きこもってしまうことがあります。
「潔癖しょう」とはよく聞く言葉ですが、実はこの言葉には二種類あります。
ひとつ目は、「潔癖性」です。これは「性」の字が表すように、綺麗好きな気質を持った人のことです。
もうひとつが「潔癖症」で、「症」の字からわかるように精神的な病気です。
不潔恐怖症とも言われ、汚れやウイルスなど、目に見えるものから肉眼では確認できないものまで、あらゆるものに恐怖心を抱き、いつまでも気にし続けます。
自分の身の回りのものが汚れること、自分の持ち物や体が汚れることを極端に嫌がり、何度も汚しては洗うことを繰り返します。
頻繁に手洗いをするとか、お手洗いに行くたびに着替えをするなども症状のひとつ。
潔癖症の人は「汚れることはダメなこと」と、汚染に対する恐怖や嫌悪が強く、自分で自分を脅迫するようになります。
ひどくなると、自分のもの以外は触れなくなったり、外出が難しくなったりして、日常生活に支障が出ることも。自分も周りも苦しめてしまいます。
服薬やカウンセリングなどの治療が必要となることもあり、治るまでに長い時間を要することが多いようです。
不潔にしている人とは、誰もがお付き合いしたくないですよね。近寄りたいとも思わないほどであれば、異性として興味を抱くこともありません。
ですから、綺麗好きであることは印象が良く、いい香りが本能をくすぐり、男性の心を惹きつけることもあります。
しかし、なんでもかんでも綺麗にすればいいというわけではありません。あまりにも綺麗好きすぎる人だと、「神経質なのかな」とか「一緒にいると疲れそう」などとマイナスイメージを抱かれ、避けられてしまうことがあります。
なにごとも、やりすぎはよくありません。快適に過ごすことができる程度に綺麗になっていればそれでいいのです。
汚れに恐怖を抱いて制限された生活をするよりも、ある程度割り切って、二人で過ごす時間を楽しんだ方が有意義ですよね。
綺麗好きな人には完璧主義な人が多く、それぞれに独自のこだわりを強く持っています。
こだわりを持つことは悪いことではありません。しかし、強くこだわりを持つことが自分を苦しめることもあります。
ですから、生活に対してストイックになりすぎる前に、自分の「綺麗」の基準をゆるく持つようにして、完璧を目指すことをやめるといいかもしれませんよ。
Written by さあや