男ウケのいい髪型とか男ウケのいいファッションなど、とにかく外見に関する「男ウケ」について知りたがっている女子が多いのか、はたまたメディア側がそういう情報の方が流しやすいと思っているのか、男ウケといえばまずは外見から……というのが、世のセオリーになっているように思います。
でも外見うんぬん以前に、男子は「頭の悪い女子とは付き合いたくない」と強く思っているところがあります。
「頭の悪い女子とは付き合いたくない」と書くと、読者を怒らすことになってメディアとして広告収入が激減するのではないか? と思っているメディアの人たちが、「頭の悪い女子とは付き合いたくない」という男子のホンネをこれまで封印してきましたが、この『恋学』は優秀な媒体なので、こういうことがしれっと書けます。
ここで言う「頭がいい・悪い」というのは、何も偏差値のことではありません。理性がちゃんと働いている女子かどうか、ということです。
その昔といっても17世紀、だから1600年代、日本でいえば江戸時代にヨーロッパでは「いかにして人格を磨くべきか」という考えが、一つの哲学という学問を形成していました。
そのおおもとは、2000年以上昔のソクラテスです。「無知の知」という言葉で有名なおじさんですね。「無知の知」という言葉が独り歩きしている感がありますが、ソクラテスはようするに「よく生きるとはどういうことやねん」というのを追求した人です。
このソクラテスの考え方って驚くことに、その後17世紀まで続きます。つまりそれまでずっと、学問(お勉強)といえばソクラテスの哲学のことだったのです。
17世紀に入って、デカルトさんやアルノーさん、パスカルさんという、みなさんが名前くらいは聞いたことのある人たちが学問の在り方をガラッと変えました。
時は科学革命。これまで地球は回っていないとされていたものが「それでも地球は回る」となった時代です。
この頃、例えばアルノーさんは、その著書の中で「よりよく生きるとは、理性を働かせることだ」と述べました。彼が言う理性とは……先入観を捨てること、つまり今の時代の言葉で言うなら「色眼鏡で人や物を見ないで、相手のありのままを見ようとすること」です。
ありのままの相手を見るにはどうすればいいのか、についてもアルノーさんは「意識すること」だと教えてくれています。
例えば彼氏にイラっとしたとき……「わたしは今、イラっとしている『と思う』」こと。「と思う」というのは、自分が今何を考えているのか(思っているのか)を自分で客観的に見て知ること、です。これをデカルトさんは「考える」と定義しました。
つまり、今の時代「自分の頭でものを考えるのが苦手」な人が多いとされているようですが、考えるとはつまり「と思うこと」なのだから、誰だってすぐにできることなのです。
というわけで、「頭が悪い女子」とは「自分の方向からしかものを見ることができない女子」のことです。換言するなら「思い込みが激しい女子」とか「心が狭い女子」ということになるのでしょうか。
偏差値なんてど~でもいいのです。学歴もど~でもいい(ぼくは42歳の今、大学1年生をしているくらいです)。相手のありのままを見よう「と思うこと」。これさえできていれば、人はあなたのことを理知的とか聡明だと評します。
こういうメディアも恋愛も全て同じです。知能指数や偏差値に関係なくただ理性を働かしさえすれば、たいていのことは上手くいくのです。
Written by ひとみしょう