彼女がプレッシャーをかけて結婚する彼氏・結婚しない彼氏

「彼女がなんとしても、じぶんの両親にぼくを会わせたがります」とか、「彼女の部屋に行くと『ゼクシィ』が、目につく場所に置かれています」なんていう、かわいい(?)相談をときどき目にします。

がしかし、どんなに結婚のプレッシャーをかけても、結婚しない男は結婚しないし、プレッシャーなどかけなくても結婚してくれる(結婚する)男は結婚します。

両者のちがいはいったいどこにあるのでしょうか。

シンプルに見るのが、一般的だろうと思います

一般論として、あるていど女性からプレッシャーをかけないと結婚を意識しない、というのは、男の特徴として言えることだろうと思います。

女性はあるていどの年齢になると、子どもが欲しくなる人もいますが、男に子宮はないので、「カラダの奥から湧いてくる『子どもが欲しい熱』にうなされて結婚しました」という男は少ない、と見るのがふつうでは? だからあるていどプレッシャーを与えないと、結婚に思考が向かない男子がいます。

おなじように一般論として、結婚のプレッシャーを与えてくる彼女から逃げまくる彼氏、というのも、わりとよくある話だろうと思います。なぜ逃げるのか?

あなたと結婚したくないと思っているか、今はまだ結婚したくない、と思っているかいずれか、と、シンプルに見るのが、一般的だろうと思います。このへんをややこしくほじくり返しても、さしたる原因は出てこないでしょう。男ってわりとシンプルなことしか考えていないから。

男って、結婚に理想をあまり持ち込まない生き物

女子のなかではとくに「理想の結婚」という言葉がいわれているようですが、男って、結婚に理想をあまり持ち込まない生き物ではないか、という仮説。

男にとって「理想の女性」とは、「やりたいときにやらせてくれる」とか「それなりに家庭的」とか、それくらいなものです。しいて言うなら、子どもが欲しい男は「おれの子どもを産んでくれる」という条件が加わるくらいなもので、女性のように「年収がどう」とか「学歴がどう」とか「家柄がどう」というような諸条件を、いちいち立ち止まって吟味しない傾向があるのでは?

それはなぜか?

「おれが結婚相手を選ぶ」という主体性が希薄だからではないか、と思います。「おれ」という存在は「いい彼女に選ばれる」存在であって、「おれが選べる立場にいる」なんて、よもや思っていない男のほうが、圧倒的に多いからでしょう。

男って、結婚に理想をあまり持ち込まない生き物

はるか以前に、彼のなかで「答えは出ている」

つまり多くの男は、「おれの年収はまあまあか、世間より少ない」と思っているし、「おれよりいい男はたくさんいる」と思っている、ということです。そういう男たちって、女性が「より優秀な遺伝子を残すべく、恋愛においてかなりの努力をしている」ことを、横目に見てわかっています。だから「おれは選べる立場にはない、運がいいと選ばれるかもしれないけど、運が悪いといつまでも結婚できないかもしれない、でもそれはそれでしかたない」と思っていたりします。

結婚のプレッシャーをあなたが与えた結果、それが功を奏するのは、彼が「おれは選ばれたんだ」とうれしく思うからです。反対に、功を奏さないのは「こいつには選ばれたくない」と、彼が思ったからです。たったこれだけのこと。

つまり、結婚のプレッシャーを与える・与えないという、はるか以前に、彼のなかで「答えは出ている」ということです。だから彼の目につくところに『ゼクシィ』を置くというのは、「重たい雑誌をコンビニで買って持って帰るだけ、労力の無駄」ともいえるのです。

おそらく多くの女子は「わたしは彼に、結婚相手として『選ばれた』」と思うのかもしれません(思いたいのかもしれません)。でも彼は「おれは選ぶ立場にない」と思っています。「おれは、彼女に、選ばれたのだ」「選ばれなかったのだ」と、まるで主体性のないことを思っていたりします。

主体性のない人に、プレッシャーを与えるのって、無駄といえば無駄です。さっさと結婚するよ、と言って、結婚してくれたらラッキー。してくれなかったらほかを当たるしかない。その中間の「プレッシャーを与える」なんヌルいことをやっても、暖簾に腕押し、時間の無駄です。

Written by ひとみしょう

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