今回は束縛彼氏の特徴や、束縛彼氏とどう付き合っていくのかなどについて、一緒に見ていきたいと思います。
彼女がどこで何をしているのか逐一LINE(ライン)できいてくる彼氏とか、男友だちと飲みに行ってはいけないという妙な「マイルール(アワールール?)」をつくる彼氏は、いったい何を考えているのでしょうか。
束縛する彼氏って嫌だよね、という感情論はさておき、まずは束縛彼氏の特徴(精神的特徴)について一緒に見ていきましょう。
1. 束縛彼氏の特徴
束縛彼氏の特徴は「自分(の人生)に絶望している」です。
自分に絶望している人とは、なんとなく淋しいという感情をたくさん持っている人です。
彼女がいるのになんとなく淋しい。大学や会社など自分が所属しているところにさして不満はないけどなんとなく淋しい。あるいは親とうまくいっていない。世間になんとなく馴染めない。
そのような人たちを端的に「自分に絶望している人たち」と言いますが(かの有名な哲学者キルケゴールはそう言ったとぼくは解釈していますが)、ではなぜ、自分に絶望している人は彼女のことを束縛するのでしょうか?
もちろん、なんとなく淋しいから自分の意のままに操れるであろう人をそばに置いておきたい、その人に自分の意のままに動いてもらいたいと思っているから束縛するわけです。
では、なんとなく淋しいとなぜ、彼氏は彼女のことを束縛するのでしょうか?
2. 淋しい人が束縛魔になる理由
それは人肌が恋しいからです。他人のぬくもりが欲しいから、彼は彼女のことを束縛します。
他人のぬくもりが欲しいから、彼女のことを束縛することに失敗した彼は、彼女に内緒でほかの女子と遊びます。
女友だちと飲みに行って遊ぶだとか、マッチングアプリなど女子と「比較的」出会いやすいツールを使って、どうにか人肌のぬくもりに触れたいと思います。
では、人肌のぬくもりが恋しくなった彼はどうして彼女のことを束縛するのか、という問題が生じますね?
人肌のぬくもりが恋しいとなれば、たとえば「クラブ」に行く人もいますね? あるいは筋トレする人もいると聞きます。人肌のぬくもりが欲しい人が筋トレ? と思う人もいると思いますが、でも実際にいます。
なのに彼は、クラブに行くこともなく、筋トレすることもなく、あくまでも彼女のことを束縛しようとします。
それはどうしてでしょうか?
3. 彼は彼女のことを女神だと思っている
その理由は、彼が彼女のことを女神だと思っているからです。
「自分が生きる土台を造り、自分のことを支えてくれている人=女神」と彼は思っているのです。別の言い方をすれば、彼は「精神的に彼女に頼っている」のです。だから彼は彼女のことを束縛します。
自分が生きる土台である人に「わたしちょっと飲みに行ってくるから」と言われると、「おれはどうなるの? おれ淋しくてつらいんだけど、そのおれを待たせて、女神はひとりで飲みに行くんかい! そんなん許せんわ」彼はこう思うのです。だから束縛彼氏なのです。
一般化して言うなら、自分がどう生きていくといいのかわからない男子は、束縛彼氏になりやすいということです。
ということは、多くの男子は束縛彼氏になる可能性を持っていると言えます。
もちろん若くして「おれはこう生きる」というのを持っている人もいますよ。たとえば、自衛官になるためにみずから主体的に学校を選び、卒業後も主体的に仕事に取り組んでいる男子とか。
でも、今の時代、そういう男子は少数です。
多くの男子は生き惑っています。社会の管理が厳しくなっているので、「おれはこれでいいのだろうか」「世間に取り残されないだろうか」「出世の道はどっちだろうか?」などと(彼女に内緒でひとりで)考えています。
それらの疑問に対する明確な答えは、今のところありません。なぜなら彼が実際に手足を動かしてなにかをやった結果、それらの問いに答えが生まれるのであって、今ひとりで悩んでも答えなんてないのです。
だから彼は途方に暮れます。ひとりで途方に暮れるのは(やったことのある女子は知っていると思いますが)非常につらいことです。
だから彼は誰かに自分の人生を預けたいと思うようになります。
誰かというのは、彼女、です。
彼女に自分の人生を預けたい。彼女がいれば幸せ。彼女といつもイチャイチャしてたい――彼はこう思うのです。だから束縛彼氏になるのです。
4. 束縛男子とどう付き合う?
さて、では束縛彼氏とどう付き合うのか、ということについて、最後にお話ししましょう。
束縛彼氏とどう付き合うか、という問いは、あなた自身の中にいる「生き惑う自分」とどう付き合うか、という問いに置き換えることができます。
なぜなら、あなたも生き惑っているから、束縛彼氏に好かれているからです。生き惑っている人って、相手の生き惑っている感じに敏感なんですね。
別の言い方をするなら、なんとなく淋しい思いを抱えつつ生きている人は、相手のなんとなく淋しい気持ちに敏感なんです。だから「似た者どうし」が集まるのです。
あなた自身の「なんとなく淋しい気持ち」と、どう付き合うと「うまく」付き合えるのでしょうか?
答えは「つねになにか新しいことをする」です。生き惑っている人、他人のことを束縛したがる人、なんとなく淋しい人が、なぜ「そう」なのかといえば、心が過去に縛られているからです。
誰の未来も明るいし、可能性は無限大だし、なんだってできるんです、本当は。
そういう言い方を「きれいごと」とか「うそ」と思うのは、あなた自身が「わたしは「この」わたしとして生きるしかない。もう人として成長・変化しない」と「思い込んでいる」からです。
そう思い込むと、人は過去の経験という「データ」に照らし合わせて生きるようになります。
たとえば、「過去に大失恋した」という「データ」をもとに「わたしは恋愛に向いていない。ひとりで生きていく」と思い込むようになります。
本当は明日のことなんて誰にもわからないのです。それゆえ、明日、どこかで偶然とても素晴らしい人に出会って恋に落ちるかもしれないのに(その可能性はゼロだと誰も証明できないのに)本人はそう思い込んでしまうのです。
つまり、束縛彼氏とうまく付き合う方法とは、彼氏もあなたもともに「自分は変われると信じて変化することをやる」ことなのです。
変化というのは今この瞬間に行われることです。過去に縛られている閉塞感たっぷりのその心を、今変化することで解き放ってあげること。これがポイントです。
それはたとえば、何か新しい資格試験のために勉強するでもいいのです。
少々お金を出して、行ったことのないレストランで、食べたことのないものを食べる、でもいいんです。
なにか新しいことをすること。その経験を通して驚くこと。これが束縛彼氏とうまく付き合う方法です。
そのような方法を採ることができれば、束縛彼氏をどうコントロールするのかという問いは生まれなくなります。
他人を変えることは無理なのだから、そんな無理な問いを立てても無理です。
彼も彼女も、仲良くふたりで「新しい自分」に向かってゆっくり歩くこと――このことこそが「すべて」がうまくいくポイントなのです。
なお、本稿は拙著『自分を愛する方法』における絶望解釈をもとに書かれました。とくに絶望哲学の解釈において、さらに詳しいことを知りたい方は、拙著か、キルケゴール・S著『死に至る病』を参考になさってください。