90年代前半、宮沢りえ・観月ありさ・牧瀬里穂の3人のイニシャルを取って「3M」と呼ぶ時代がありました。彼女たちの功績、そして現在について特集したいと思います。
皆さんは「3M」と聞くと何を思い浮かべるでしょうか?アメリカの「スリーエム カンパニー」のロゴを思い浮かべる方もいるかもしれませんが、90年代前半は「3M」と言えば「宮沢りえ」「観月ありさ」「牧瀬里穂」の3人の美少女を指す言葉として定着していました。この記事では、当時「3M」と呼ばれた3人の過去の活動と現在についてご紹介してみたいと思います。
まずご紹介するのは宮沢りえ(1973年4月6日生まれ)。モデルとしてデビューした後、1987年のCM「三井のリハウス」に初代リハウスガール“白鳥麗子”として出演、そして翌1988年の映画「ぼくらの七日間戦争」で主演を務めたことで一躍トップアイドルの仲間入りを果たしました。
歌手としても1990年の第41回NHK紅白歌合戦に出場、さらに翌1991年には写真集「Santa Fe」が150万部のベストセラーを記録するなど、マルチな活動を展開しました。
プライベートでは貴花田(元貴乃花親方)と婚約、そしてわずか2ヶ月で婚約解消と、“すったもんだ”で当時のワイドショーを騒がせました。また、マネージャーを務めていた母親“りえママ”にも注目が集まっていましたよね。
近年の宮沢の動向ですが、映画において2014年公開の「紙の月」、2016年公開の「湯を沸かすほどの熱い愛」などで主演を務めるなど、メインキャスト級の役柄を多数担当。
その他ドラマ、舞台などでも幅広く活躍しています。また、2019年12月13日公開のアニメ映画「ぼくらの七日間戦争」には声優として出演。かつて自身が実写映画で担当した“中山ひとみ”を演じています。
一方プライベートでは、2018年3月にV6の森田剛と結婚。ワイドショーを賑わせていました。
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近年の宮沢りえ(写真左)。
次にご紹介するのは観月ありさ(1976年12月5日生まれ)。幼少期よりモデルなどで活動しており、1989年に放送された「教師びんびん物語Ⅱ」で連続ドラマ初出演を果たし、以降本格的に芸能活動を開始しました。
1991年には「超少女REIKO」で映画初主演、翌1992年にはフジテレビ系列で放送されたボクたちのドラマシリーズ「放課後」で連ドラ初主演を務め、一方で歌手としても活躍。
1991年の「伝説の少女」、1992年の「TOO SHY SHY BOY!」などがヒットしました。また、「とんねるずのみなさんのおかげです」といったバラエティでも見る機会が多かった印象です。
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Written by ミドルエッジ