常にネガティブに考えてしまいます。
周りからも「気にしすぎだよ!」と言われるのですが、ちょっとした一言でもすごく考え込んでしまいます。
どうすればプラス思考に考えられるのでしょうか。
(26歳/男性/測量士/千葉県)
ご質問誠に有難う御座います。
性善説と性悪説をご存知でしょうか? 性善説は孟子(もうし)が提唱した考え方で「人間の本性は善である」という思想で御座います。
一方で性悪説はそんな孟子の性善説に疑問を感じた荀子(じゅんし)が提唱した考え方で「人間の本質は悪である」という思想で御座います。
この2つの考え方のどちらが正しいかは分かりませんが、イメージ的には性善説の方がポジティブな思想であると言えるでしょう。
「人間は基本的にみんないい人なんだ!」という思想と「人間は基本的に悪人なんだ!」という思想なのです。どちらがポジティブかと言えば性善説の方がポジティブな思想であると言えるでしょう。
さて、この2つの考え方で御座いますがご質問者様はどちらが正しいとお考えになるでしょうか?
それでは仮にご質問者様が「性善説」を正しいと考えたとしましょう。
性善説の考え方は「人間は基本的に善である」というもので御座いますが、現実的に世の中にはたくさんの悪人が存在します。性善説ではそういった人間のことを「生まれた時は善だったのに、世の中に触れているうちに悪に染まってしまった人間」というように捉えています。
だからこそ性善説は私たちに「悪に染まらないように注意しよう」と諭しているのです。生まれた時は善だったとしても、世の中に染まってしまえば悪になる。そうならないように日々鍛錬をして悪に染まらないように注意しよう。それが性善説の考え方で御座います。
一方で性悪説はどうでしょうか? 性悪説の考え方では人間は生まれながらにして皆、悪で御座います。
しかし現実的には世の中にはたくさんの善い人がいらっしゃいます。性悪説ではそういった人のことを「生まれた時には悪だったのに、努力で善になった人」と捉えています。
だからこそ性悪説は私たちに「善になれるように努力をしよう」と諭しているのです。生まれた時はみんな悪人ですが、それは努力によって善にすることが出来る。日々、努力をして善になれるようにしようという考え方こそ性悪説の考え方で御座います。
性善説と性悪説は確かに真逆の考え方であると言えるでしょう。
しかし、どちらもすべきことは同じなのです。人間が生まれながらに悪だろうが善だろうが、努力をしないと悪になる。だからこそ善になれるように頑張ろうという結論は性善説でも性悪説でも一致しております。
ポジティブ、ネガティブ問題もこのような問題であると私は思います。
何かが起きた時、それをポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかは人それぞれで御座いますが、その際に取るべき行動はポジティブでもネガティブでもほとんど変わりません。
例えば会社で大きな問題が発生したとします。
ポジティブな方はその問題をチャンスと考えて、会社の立て直しを測ることでしょう。一方でネガティブな方はこのままでは会社が危ないと考えて、会社の立て直しを測ります。
多少、方針の差はあるでしょうがどちらも「会社を立て直す」という目的は一致しているのです。
ですのでポジティブとネガティブは物事の捉え方の差こそあれ、どちらも大差は御座いません。
しかし、会社が傾きかけると先ほどのポジティブネガティブ以外のことを考え始める方がいらっしゃいます。
代表的なのが責任者探し。誰のせいでこうなったのかということを考え出す方のことで御座います。
他にも「駄目だ駄目だ」と悲観して何の手も打たない方もいらっしゃることでしょう。
彼らには「会社を立て直す」という目的が存在いたしません。ですのでこういった方ばかりだと、永遠に問題は解決せず会社は倒産してしまうのです。
ポジティブとネガティブ。
これはどちらが良い悪いの問題では御座いません。目の前にある出来事を右から見るか左から見るか程度の差であり、どちらが良い悪いの問題ではないのです。
しかし、問題を直視せず解決策になる行動を取らないことには問題があると言えるでしょう。
それではご質問に回答させて頂きます。
ご質問者様は誰かのちょっとした一言でも非常に悩んでしまうということで御座いますが、悩んだ結果一体何をしているのでしょうか?
例えば自分の発言に問題があったと反省し、その発言をしないように注意をするというようなことをされているのであれば、それは問題ありません。確かにネガティブかも知れませんが、問題を解決しようという行動につながっているのです。
しかしご質問者様のように悩んでしまう方の多くは、悩んだ結果結局何も変わらないのです。
問題を直視することもなければ、問題を解決するための手段も講じない。何ひとつ生み出さない悩みをしているだけで、状況は何ひとつ変わっていないと言えるでしょう。
このように同じことを何度も悩みながら何も変わらない思考のことを反芻思考というのですが、この反芻思考は残念ながら現代においてほぼメリットのない考え方であると言わざるを得ません。
まず同じ問題を何回も悩んでいるだけなので、問題は全く解決いたしません。さらに同じ悩みを何度も考えるということで精神的に病みやすいメンタルになってしまうのです。
ネガティブ思考というのは、状況を現実的、悲観的に捉え最悪に備えた方法で問題を解決する思考方法のことで御座います。同じことをウジウジ考えて何もしないのはネガティブ思考ですらないということをぜひともご理解くださいませ。
ネガティブ思考を止める必要は御座いません。
そもそもネガティブ思考自体は少しも悪いことでは御座いませんし、変えようと思ってもそう変えることが出来るものでもないのです。
変えるべきはネガティブ思考ではなく反芻思考。同じことを何度も考えて結局何も対処をしないという生産性のない思考方法を変えなくてはならないのです。
それでは反芻思考を止めるためには一体どうすれば良いのでしょうか?
まずは「自分が反芻思考をしている」ということに気がつくということが解決の第一歩になるでしょう。
反芻思考が100%悪であるとまでは申しませんが、様々なデータを見る限り反芻思考はほぼデメリットしか御座いません。
人生を不幸にするために最も簡単な方法は反芻思考であると言っても過言ではないでしょう。
ですので自分が反芻思考をしているということに気が付いたら、まず「反芻思考をやめよう」と考えてみてくださいませ。やめようと思ってやめられるほど話は簡単では御座いませんが、それでも気がつかないよりはマシで御座います。
次に責任者探しを止めるということを実行してみて下さいませ。
世の中の原因のほとんどは誰か一人が起こしている訳では御座いません。
大きな偉業を一人で達成することが出来ないように、悪事もまた一人で達成することは出来ないのです。
ですので何か問題が起きた時に「私が悪いんだ」と考えるのは非現実的な妄想思考であると言えるでしょう。もちろん自分は全く悪くないと開き直るのは問題ですが、自分だけが悪いと考えるのもまた非現実的な思想なので御座います。
特に一対一の人間関係ではこの傾向が顕著です。
英語で喋っているAさんと、ロシア語で喋っているBさんが意思疎通できないのは当然の話。
それではこの問題はAさんとBさんのどちらが悪いのでしょうか?
AさんとBさんが仲良くできない時、それはBさんとAさんも仲良くできていないのです。どちらが良い悪いの問題ではなく、どちらにも問題があると考えなくてはなりません。
ネガティブ思考が悪いのではなく、反芻思考が悪い。
ご質問者様は是非ともネガティブ思想のまま、反芻しない思考をするように心がけてみて下さいませ。
Written by ラブホスタッフ 上野