「私はもう結婚は無理かな」と絶望感に打ちひしがれている人に、「人生はなにが起こるかわからないから楽しい」なんて言ったところで、そういう人たちの心にはこの手の嘘くさい自己啓発的な言い方って届かないように思います。
もちろん、人生はなにが起こるかわからないものです。人生には3つの坂があるなんてよく言われますよね。上り坂・下り坂・まさかの3つだそうです。「まさか、この私が結婚できるとは思わなかった」というようなことを経験したことがある人だって大勢いるということです。
が、自己啓発的なことをここに書いたところで、私に原稿料は入ってきますが、読者にとってさしたる益はないと思うので、今回は別の視点から「結婚はもう無理かな」という気持ちをとらえてみたいと思います。
人って、自分のコンプレックスを克服するために、その生涯を費やすのではないかと思うことがあります。
たとえば学歴コンプレックスを持っている人のなかには、60歳を過ぎて通信制の大学に通う人もいます。通信制の大学って、下は18歳から上は70歳以上の人まで、本当に様々な人がいます。その中間に位置する30~50歳くらいの人たちのなかには、教員免許取得のためとか、簿記の試験のためなど、なんらかの資格を取得するために大学に通っている人もいます。
が、60歳を超えて大学へ……という人たちは、新たになにかを学びたいと思っている人(つまり大学を高級なカルチャースクールのようにとらえている人)と、学歴コンプレックスがある人に大別できる……ある大学職員は、こう見ているそうです。
学歴コンプレックス以外にも、人はコンプレックスを解消するためにその生涯を使うのではないかと思えるのは、不倫です。男性のなかには、「昔モテなかった俺」を克服するためにせっせと不倫している人がいます。「無類のエロ」という理由だけではなく、過去の自分を克服したい気持ちが機動力となって、不倫にいそしむ男性もいるということです。
さて結婚について。結婚って、自分のコンプレックスを「それなりに認め引き受けた」時点で、誰かとめぐり会って結婚できるようになるもの、という見方ができるように思います。
もちろん、コンプレックスを認め、引き受けたときに天職に出会い、そのまま結婚することなく職業人として生き、天寿をまっとうする人もいますが(そういう人はときに「仕事と結婚した」と言われますよね)、コンプレックスをある程度引き受けないと、結婚相手にめぐり会わないのでは?
たとえば「こんなにデブでブスな私って、一体なんなんだろう」というコンプレックスを抱いている人がいる一方で、そういう容姿を武器にお笑い芸人として元気に活躍し、人々にしあわせを与え続けている人がいます。自分のコンプレックスを認め引き受けるというのは、たとえばそういう存在になることと言えるかもしれません。
結婚相手って、生涯をともにする人のことです。その相手には、自分のコンプレックスをオープンにする必要があるはずです。「したほうがいい」ではなく「する必要がある」はずなんです。
どのようなコンプレックスであっても、それを認め、引き受けてくれる人が、この広い地球のどこかにいます。自分が抱えているコンプレックスをどう扱うか、という視点で結婚を眺めたら、あるいはそこはかとない希望が湧いてくるのではないでしょうか。
Written by ひとみしょう