最近、某有名YouTuberの大炎上により話題になっている「オープンマリッジ」。
賛否両論はあるものの、そもそも「オープンマリッジって何?」「男性はどういう理由でオープンマリッジを求めるの?」と思っている方も多いでしょう。
今回は、男性視点で「大半の男がオープンマリッジに憧れる理由」を率直にお伝えします。
オープンマリッジは、直訳すると「開かれた(Open)結婚(Marriage)」という意味で、簡単に言うと「夫婦同意のもと、お互いにパートナー以外の複数の異性と恋愛関係や肉体関係を持つことを認めた婚姻関係」です。
つまり、「私たちは夫婦ではあるけど、他の異性と恋愛してもいいし性行為をしてもいいし、束縛なしの自由な関係ね!」ということ。
「え?そんな夫婦関係、アリなの…?」と思う方も多いでしょう。
オープンマリッジは、米国の社会学者であるネナ・オニールとジョージ・オニールのオニール夫妻が初めて具体的に提唱した考え方で、1973年には彼らが出版した著書「オープンマリッジ」が150万部以上の売上を記録し大ヒット。
これを機に米国でオープンマリッジが広く知れ渡るようになりましたが、日本での認知度はさほど高くありませんでした。
しかし、オープンマリッジ的な考え方の根源は1950~60年代に米国で流行したヒッピー文化まで遡ります。
背景には「体制への反発」や「固定観念や常識の破壊」があり、当時欧米で社会現象となっていた「性の革命」に伴い、「婚姻関係を維持したまま、配偶者以外との関係を認めるスタイル」が欧米で広がったのです。
この流れは1980年代頃まで、AIDS(HIV(ヒト免疫不全ウイルス)による免疫不全症候群)が世界で猛威を振るうまで続きました。
オープンマリッジと似た考え方として、「フリーラブ(自由恋愛主義)」や「フリーセックス(自由性愛主義)」などがあります。
しかし、これらは似て非なるものです。
たとえば、フリーラブやフリーセックスが、基本的に「特定のパートナーを持たない」ことを前提としているのに対し、オープンマリッジは「パートナーがいるにも関わらず他の人と関係を持つ」のが特殊なところ。
婚姻関係になければ、社会的にそれほど大きな責任は伴いません。
しかし、夫婦となり家庭を築く立場となれば、さまざまな責任が伴うものです。
それにも関わらず自由恋愛主義・自由性愛主義を貫き通していたら、それは社会人・家庭人として無責任な行為として咎められます。
果たして、個への責任を追及しがちな日本人がお堅いのか、はたまた半世紀も前からオープンマリッジが流行していた欧米が寛容すぎるのか。
皆さんはどう感じますか?
オープンマリッジに似たもう一つの思想として、「ポリアモリー(日本語で強いて言うなら「多重恋愛主義」?)という思想があります。
こちらも「複数のパートナーと関係を持つことが許容されるパートナーシップ」を表しますが、オープンマリッジが「無責任な自由恋愛」的であるのに対し、ポリアモリーはむしろ「全員と合意の上で関係を持つ」といったニュアンスが強いのが特徴です。
たとえるなら「多夫多妻制」に近いニュアンスがあり、婚姻関係にあるパートナーがいるにも関わらず自由恋愛や自由性愛を求めてハーレム作りに勤しむオープンマリッジとは根本的に異なります。
さて、では「オープンマリッジ」とは一体どういうポジションなのか?
その正体は、“男の隠された本音”を暴くことで徐々に見えてきます。
オープンマリッジは、先述した「性の革命」と密接な関係にあります。
1960年代に欧米で発生したこの革命は社会現象となり、さまざまな人や国や人種や性別におけるカルチャー、思想、ライフスタイルに多大な影響を与えました。
1960年代後半から盛り上がった「ウーマン・リブ(女性の権利を主張する運動)」とも密接で、この革命では「女性の権利」や「女性の自由」をテーマに女性ら自身が立ち上がり、全米を席巻しました。
これがいわゆる「フェミニズム」が誕生したきっかけといわれています。
この通り、そもそも性の革命は女性が主体的に関わっている側面も大きく、必ずしも男性ばかりが主体だったわけではありません。
女性の権利や自由を訴える世界的な運動の中で生まれた「オープンマリッジ」を、男性側が自分の欲求を満たすために主張できる現代。
時代の変遷は何とも皮肉で残酷なものです。
さて、大半の男は、オープンマリッジに何を求めているのか。
答えはこれです。
「性的満足」
場合によっては性欲だけに限りませんが、「複数の女性で何かしらの欲を満たしたい」という動機でオープンマリッジに憧れる人が多いのは間違いありません。
つまりオープンマリッジは大半の場合、「我欲に溺れている男」や「我欲をコントロールできない男」が行き着く思想に他ならないのです(筆者の個人的な意見です)。
しかし、一方では「たくさんの女を侍らせる行為」が、男としての優位性やステータス性を示す本能的あるいは社会的欲求に基づくのも事実です(とはいえ、そういう価値観も既に廃れつつありますが)。
もちろん、中には由々しき事情により、あるいは趣味嗜好や思想が合致した上で真にフェアな婚姻関係としてオープンマリッジを選択するご夫婦もいるでしょう。
しかし、大半の男性は「性欲」にかまけてオープンマリッジを求めるはず。
これは古今東西変わらない、男性の性(さが)といえるでしょう。
つまり、オープンマリッジという婚姻様式が悪いのではなく、それを運用する人間(大半は男性)の動機に問題があるケースが大半であるということ。
筆者は個人的にオープンマリッジに反対の立場ですが、オープンマリッジそのものに反対しているわけではありません。
「オープンマリッジを希望する夫が、妻や家族を幸せにできると到底思えない」からです。
オープンマリッジで幸せに暮らしている夫婦がいるなら、それはそれで素敵な在り方です。
もしそれが実現するとすれば、少なくとも「女性側が本心でオープンマリッジを望んでいる」ことが大前提になるでしょう。
結論から言います。
オープンマリッジは「どちらかというと悪い」です。
あくまで現在の日本における法律と照らすと、いくらオープンマリッジで夫婦合意の上であったとしても、不貞行為として認められる可能性がゼロではありません。
民法第九十条に示されている「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」の文言が根拠です。
つまり、「いくら夫婦間で合意したとはいえ、そんな公序良俗に反している合意なんて無効じゃ」と司法が判断する可能性があるということ。
一方、生き方の方針や思想、主義として、筆者は「良くも悪くもない」という立場で、その方針や思想で人を傷つけないのなら、あまつさえそれで夫婦両者が幸せになるなら、全然アリだと思います。
結局、良いか悪いかはパートナー同士で決めるもの。
世間の風潮やトレンドなんかは二の次に、自分なりの恋愛観や結婚観をしっかりと持ち、自分の幸せを自分自身で定義できる人間でありたいですね。
Written by はるお