今回は、米津玄師さんの「ごめんね」をもとに、女子が知らない男心を見ていきたいと思います。
「ごめんね」は、「僕」が彼女に対して歌っている、いわゆる男歌です。具体的には、「僕」が彼女に「ごめんね」と謝っている歌です。
なにを謝っているのかといえば、なんらか心ないことを彼女に対してやってしまったことに対して、「ごめんね」と彼女に詫びているということでしょう。歌詞の行間から、そう読み取れます。
……というような解釈のもと、女子が知らない男心を見ていきましょう。
1. 彼女のようにやさしくなりたい
「ごめんね」のなかで、米津さんは、僕は彼女のようにやさしくなりたいと歌います。
彼女のようにやさしくとは、具体的にどういうことなのでしょうか?
彼女のように「ふつうに」「さらっと」相手に対して思いやりのある言動ができる人間になりたいということかもしれないですね。
あるいは、彼女のように、なんらかに腹を立てて怒ることなく、ふつうにさらっと風のようにさわやかに生きていきたいという解釈もできるかもしれませんね。
ではなぜ、彼は彼女のようにやさしくなりたいと思っているのでしょうか?
2. なぜやさしくなりたいのか?
ここからは完全に解釈の世界です。歌詞にそう書いていないけど、こう解釈できるという解釈の話をします。
彼は、生き急いでいるから、彼女のようにやさしくなりたいと思っているのではないか――たとえばこう解釈できます。
もしかすれば女子は知らないかもしれないけれど、若い男子は生き急いでいます。
なんらか自分で納得のいく成果を出さないと「男」になれないのではないか、そうしないと彼女のことを幸せにできないのではないか?
そんなふうに、自分で自分のことを追い込んでいるから、その必然の結果として、どうしても生き急いでしまうんですね。
3. 男子は「サル」であり、LINEの返信が遅いだけの生き物ではない
女子が自分の人生をどう捉えているのかはよくわからないのだけれど、男子は、それがどれだけ下半身がサルも同然のチャラそうに見える男であっても、自分の人生を深刻に捉えるくせを持っています。
その「くせ」は、若い女子にモテる30代後半の男のことを考えるとうまく理解できるかもしれません。
30代後半でモテる男は、ある程度人生を達観しています。
「人生というのは、およそこういう感じにできている」「おれはこんなふうに生きていくといい」「なんらか自分で納得のいく成果など出さなくても『ふつうに』生きていくと、それだけで『それなりに』いい人生になると思う」
たとえば彼はそんなふうに考えています。
だから、わりと精神的に余裕があるのです。
彼女のようにやさしくなりたい? うん、たしかにそういう気持ちはわかるけど、でもそこまで深刻に考えなくたっていいじゃないか、ふつうに女子と「これ美味しいね」「楽しいね」などと談笑できるだけで十分――たとえば彼はこう考えるんですね。
そういう彼のことを「精神的に余裕のあるオトナ」と捉えて、好きになる若い女子っていますよね?
でも若い男子はそうじゃないんですね。
自分に余裕がない、その余裕のなさが、不用意に彼女のことを傷つけてしまうんですね。
それはたとえば、ものすごく「したがったり」、LINE(ライン)の返信が超遅いという現象になって現れます。
彼女が「彼はわたしのカラダだけが目当て?」とか「既読スルーしまくる彼は、わたしのことが好きではないのかな?」と不安に思うかたわらで、じつは男子は、自分と葛藤しているのです。
4. おわりに
男子がなぜ生き急いでしまって、彼女のことを不用意に傷つけてしまうのかといえば、男子は言葉の世界(過去)に生きてしまいがちだからです。
女子のように「かわいい」とか「スイーツ好き!」とか、感覚を活かして生きていないんですね。
「おれは出世して金儲けしないと将来とんでもないことになる、彼女のことを幸せにできない。そのためにおれはなにをすべきなのか? どう生きるべきなのか」と、絶えず考えているんです。
どんなにチャラそうに見える男子でも、じつはそういうマジメなことを考えているのです。
すなわち「今」を「過去」として生きてしまっているのです。
今を今として楽しみ、なにかを感じ、身近なものを愛でる――こういった、女子の生き方を、じつは「お手本」にしているのが、若い男子なのです。
だから彼は、彼女のようにやさしくなりたいと願い、歌うのです。
若い男子はサルでもなければ、既読スルーが得意な無神経なヤツでもないのです。どう生きていくべきか、彼女に内緒でひそかに悩んでいる哲学者なのです。
どう生きていくべきか、などと悩んでいると彼女に知られたら「ダサいヤツ」と嫌われそうだと思っているから、だから、彼女に内緒でひそかに悩んでいるのです。