人間の欲求ってキリがないものです。「もっと便利に」とか「もっと快適に」、あるいは「もっと認められたい」「もっとお金が欲しい」など、頭に「もっと」が付くような欲求って、数えると本当に無数にあります。
ただし、求めるもの全てが手に入るような人生を送れる人は、ごくわずかです。特に恋愛においては上ばかり見ていると、本当にどこまで進んでも満足ができなくなってしまいます。
例えば、付き合う前はかなり盛り上がっていたはずなのに、いざ付き合ったら冷める。そんな人って結構世間にはいますが、こういうタイプもやっぱり、キリのない欲求のせいで自分の立場をある種、見失っている状態といえるでしょう。
自分のことを100%理解していると自覚してる人って、なかなか世間にはいませんが、「私は自分のことを完全に理解している」と豪語する人に限って、全く自分のことを理解できていないことが多いのは世の常です。
例えば、恋愛においてはせっかく付き合ったのに、すぐに相手に飽きてしまい、釣った魚に餌をあたえないような扱いをしてしまう人は男女共にいるものですが、こういうタイプって基本的に自分のことが全く理解できていません。
自分にどんな魅力があって、何故恋人ができたのか。これが完全に把握できている人は、その魅力に対して理解してくれた相手をないがしろにはできません。
この手の人には自分の「分を知る」という感覚が、もしかするとかなり欠けているのではないでしょうか。分を知るという表現って、「どうしても身の程をわきまえろ!」みたいな高圧的な印象を抱きがちなんですが、この場合の分を知るというのは、自分の欠点や立場ではなく、魅力についての理解があるかどうかを指す言葉ですね。
付き合ったら冷める恋愛を繰り返しがちな人は、とにかく相手を落とすことだけが目的のメインになっていて、付き合うようになったら、途端に気を緩めてしまい、相手に興味を持てなくなるわけです。
こういう人ってたまに遭遇しますが、要はどんな素晴らしい恋愛を楽しみたいかではなく、どれだけ多くの異性を落としたかが、自分の価値に繋がっているという考えにあるのでしょう。
実際付き合ったら冷める傾向のある男女って、やたら経験人数を記憶していて、誇っていますし。でもこれってまともな恋愛への向き合い方ではありませんよね。
病気と恋愛は、数を誇るようになっちゃお終いですよ……。恋愛はどれだけ相性の良い恋人と長い間愛情を共有していたかどうかがキモですし、そういう恋愛ができない人というのは、やっぱり精神的に幼いんでしょうね。
冒頭で触れたように、こういう人の指す恋愛への欲求って「いかに多くの異性を落とすか」に集約されていると思います。
「私はモテる。だから付き合ってもすぐ冷めてしまうとしても、それはしょうがない。相手が悪い」というような考えがあるからこそ、付き合ってすぐに冷めてしまえるわけです。
そしてそういう人たちは、特に根拠もなく今後もそんな恋愛ごっこがいくつも楽しめると慢心をしている傾向は高いと感じます。
もっと多くの異性を知りたい。もっと色んな相手とセックスをしたい。その欲求に、どんどん取り込まれていくわけです。
厳しいことを書くようですが、付き合ったら冷める恋愛を繰り返してしまう人というのは、最終的には誰からも愛されることがなくなります。
それはそうです。自分が若い頃、付き合ってすぐに相手に興味を無くすような恋愛しかしなかったわけですから。
他人に愛されることも学んでいなければ、誰かを強く思う気持ちも会得できていません。
要するに付き合ってセックスをするのが天井の、10代の男女のような浅い恋愛しかできないまま、どんどん年齢を重ねてしまうわけです。
そういう30代、40代になってしまってから焦っても、もう遅いでしょう。
付き合ったら冷めるような恋愛をしてしまう人というのは、付き合ってから起きる楽しみを知らないわけなので、その楽しみを誰かに提供することすらできません。
そんなアラフォー以降の世代になってしまえば、はっきりいってかなり味気ない人生の後半戦を歩むこととなるでしょうね……。
Written by 松本 ミゾレ