彼のことを本気で愛せなくなったとき「じゃ、別れよっか!」と、軽く彼に言えるのであれば、なんら問題がないでしょう。
1度はおなじシーツにくるまった相手に対して、そんなに軽く「別れ」を言えない人は、どうすればいいのでしょうか?
彼のことを本気で愛せなくなったとき、愛せなくなった自分のことを責める人もきっといるはずです。
「彼はまだわたしのことを好きでいてくれているのに、わたしの気持ちは以前ほど彼にない……。」
「あろうことかほかの男子に心が向かってしまっている……。」
このように、別れに際してもっとも大変なのは、“自分でもどうすることもできない自分の心の変化”なので、こういう気持ちをしっかりと抱いて悩むというのは非常にいいことです。悩んでいる最中はすごくしんどくても、あとになって“正しく悩んだ”ことに対する成果は、正しく享受することができます。
つまり、自分の心の痛みを通じて他者の心の痛みを理解することができる、いわば教養が正しく身につくのです。
だから正しく悩んでください、と、この項を締めると、読者に対して失礼なので話を続けます。
彼のことを本気で愛せなくなったとき、自分のことを悩むのではなく、彼のことについて悩んでみると案外すぐに“どうするべきか”答えが出てくることがあります。
つまり自分軸ではなく、相手軸で考えてみる、ということです。
彼のことを本気で愛せなくなったときに、それでもわたしは彼に対してなにかをしてあげたいと思っているのか? 思っているとすれば、わたしは彼になにをしてあげたいと思っているのだろう? 彼に対してなにをしてあげることが“いいこと”なのだろうか?
こういうことを考えてみるといいということです。
たとえば「別れてあげることが、彼にとってもっともいいことだ」という答えが出てくることもあるでしょう。であれば、別れてあげるというのが、彼に対する最後の誠意ある彼女の態度になります。
別れるかどうするかで彼と揉めているけれど、彼にごはんを作ってあげたいと思うのであれば、ごはんを作ってあげるといいです。他人行儀にしれっと、なにも言わずフェードアウトして恋を終わらせることは、誰にでもできることです。
そうではなく、多少なりとも人生の時間をともにした相手に対して、最後にごはんを作ってあげて、沈黙に包まれつつも一緒に食べるというのは、あとになって“いい思い出”になります。
彼にとって、今わたしがなにをすることがベターなのか?
これを考えてゆくと、美しい場所に考えがまとまってくれます。
人って、自分のことを考えていたら、わりと自分よがりな答えしか出てこないのです。おそらく自分のことってみなさんわかっているようでわかっていないので、自分のことだけを考えると思考の範囲が狭くなるのでしょうね。
たとえば仕事についても同じことが言えると思います。
わたしはどんな仕事に向いているのだろう? と考えても、あまりパッとした答えって出てこないですよね?
そうではなくて、“わたしはどんな社会貢献ができるのだろう”という問いを立てたら、いくつもの答えが出てきますよね?
恋愛もおなじです。
別れることになりそうな彼に対して、今わたしはなにをしてあげることができるのだろう?
こう考えてみたら、いくつも答えが出てきます。
Written by ひとみしょう