突然ですが、あなたは勝ち組になりたいですか?
もし、心の中で「Yes」と答えたなら危険信号かもしれません。
なぜなら、今のままだと一生勝ち組になれない可能性があるからです。
本物の勝ち組になるために、今回は「本当の勝ち組の基準」を、男女別に解説します。
「勝ち組」「負け組」という概念が生まれたのは、1990年代後半から2000年代頃だったと思います。「働いたら負け」というネットミームが流行した2004年頃には既にネットを中心に定着していた概念です。
さて、「勝ち組」というと「家庭を持ち経済的にも成功している人」や「有名になり多大な影響力を獲得した人」といったイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。
一方の「負け組」は、典型的には貧困者や社会的弱者などを漠然と指しているイメージです。
しかし、実はこの「勝ち組」「負け組」という概念そのものが誤りで、この概念に囚われれば囚われるほど勝ち組になりにくくなり、この概念から解放されればされるほど勝ち組になりやすくなることを、皆さんはご存知でしょうか?
皆さんの「勝ち組」「負け組」の定義は、自分が生き残るために印象操作を行い、負け組を量産している人間が作り出したものです。
自分の「勝ち組としてのポジション」を作ることで得をする人間により、意図的に作られた概念です。
そして、この概念にどっぷり浸かれば浸かるほど、人はなぜか不幸になっていきます。
冒頭で「Yes」と答えたあなたが今後も勝ち組になれない可能性が高いのは、現時点で既にこの概念にどっぷり浸かっている可能性が高いからです。「Yes」と答えたのがその証拠です。
今回は、そんなあなたの概念を正し、より健全なマインドを取り戻すための「勝ち組の基準」をご提案します。
なお、「勝ち組」「負け組」の概念がなぜ危険かについては、「勘違いすると人生が詰む⁉ 社会の勝ち組になるためのマインド3つ」の記事で根拠とともに詳しく解説しています。併せてご覧ください。
それでは最初に、女性の「本当の勝ち組の基準」について解説します。
ルッキズムとは、容姿など外見の美しさを過度に気にし、自己評価(あるいは他者への評価も)ルックスの良し悪しに依存することです。
たとえば、太っていることを悪とし、痩せるために過度なダイエットを繰り返したり、自分の外見が嫌いだからと美容整形を繰り返したりといったケースが典型的です。
実は、一見すると勝ち組に見える女性たちは、ルッキズムにあまり囚われていません。それにも関わらず、美しいプロポーションを手に入れていたりします。
なぜルッキズムに依存していないにも関わらず、美しい容姿を手に入れているのか不思議に感じる人もいるかもしれません。
しかし意外と答えは簡単で、彼女らの多くは単に「毎日を気持ちよく楽しく過ごすために、コンディションの管理に気をつけている」だけなのです。
たとえば規則正しい生活を心掛けたり、適度に運動したり、身なりや身の回りを整理整頓したりすることで、彼女らは自分自身のコンディションが高まるのを知っています。
コンディションが上がるとパフォーマンスも上がり、結果的に心身ともに充実した日々を過ごせるだけでなく、自ずと健康的な体型を保ちやすくなり、美容を楽しむ余裕も生まれます。
「人生を楽しむこと」こそが彼女らの目的であり、決して「自分のコンプレックスを誤魔化すため」ではありません。
もちろん、人にはそれぞれ事情がありますから、すべての女性が彼女らのようなマインドを獲得できるわけではありませんが、彼女らのマインドは安定したメンタルを養う上で大きなヒントになるはずです。
真の勝ち組女性は、「〇〇歳までに結婚しなきゃ…」「早く子どもを産まなきゃ」「彼氏がいないと不安…」といった動機で恋愛や結婚・出産をしません。
つまり、恋愛や結婚・出産を「社会的ステータス」と捉えていないのです。
「素敵な人がいれば恋愛なり結婚をする」「ライフステージに適したタイミングで出産する」という感じで、社会的ステータスよりも自分自身のコンディションやタイミングを大切にしています。
言い方を変えれば、「自然体のままで運命に身を委ねている」といった感じでしょうか。
逆に「彼氏がいる人こそ勝ち組」「結婚した人は勝ち組」「子どもに恵まれた人は勝ち組」といった判断基準で勝ち負けを判断している人は、それだけ社会的ステータスや世間体といった呪縛に囚われているということ。
これらの固定観念や先入観は、文字通り呪いのように人生を蝕み、じわじわと不幸へ導きます。
もちろん、恋愛をするとホルモンが活性化し、コンディションが良くなりQOLが高まります。結婚や出産でしか得られない幸せがあるのも事実です。
しかし、これは何も恋愛や結婚や出産に限ったことではありません。
たまたま日本に生まれたからこそ享受できる幸せもあれば、たまたま良いご縁があったから訪れる幸せがあるように、運の要素が強い側面があります。
運命を呪わず、運命に自分を呪わせることもせず、ただ淡々と運命の流れに身を委ねる。そのために彼らは、生活習慣や新しいことへの挑戦、教養の獲得、対人交流などを通し、良好なコンディションを保つ工夫をしています。
本当の勝ち組女性は、自分と誰かを比べることをしませんし、当然自分や誰かを格付けするようなこともしません。「人には人の人生が、自分には自分の人生がある」という考え方です。
もちろん彼らにもコンプレックスがあったり、悩みがあったりするはずです。しかし、それを「自分と誰かを比べるための材料」にはしません。あくまで「自分自身の課題」として受け止めています。ですから、変に塞ぎ込むこともなければ機に病むこともなく、コンプレックスがあったとしても毎日を楽しく、充実した気分で過ごすことができます。
また、恋愛においてもこういうタイプの女性は、男性から尊敬されやすい(つまり男性から軽く扱われにくい)ので、結果的に男性と良好な関係を築きやすいという一面も。
次に、男性の「本当の勝ち組の基準」について解説します。
男性にとって、収入は「男としての価値」を測るもっともわかりやすい基準です。
収入は、いうなれば「男の価値をもっともわかりやすく表すもの」です。
しかし、本当の勝ち組は、収入で男の価値を測るようなことをしません。お金よりも品性や徳、人間性などを重視します。
本当に強い女性が人を格付けしないのと同じように、本当に強い男性もまた収入などのわかりやすい格付け要素で他人をランキングするようなことをしません。
収入やお金といった、いわば「呪い」のような固定観念や先入観から解放された人が、精神の自由を手に入れるのです。
残念ながら、男性の大半は「男」という下駄を履いており、無自覚で他人を踏みつけたり蹴落としたりしています。
たとえば、昔ながらの家父長制の価値観に影響されている人は、「男は女より偉い」と思い込んでいたり、子どもやお年寄りといった弱者を相手に横柄な態度をとったりしがちです。
小売店やサービス店の店員に対し、「客は神様」根性で横柄な態度をとる男性が典型的で、このタイプは勝ち組どころかむしろ「精神的な負け組」の最たるものです。
これまで世の中は男性を中心に回ってきました。しかし、今や時代も変わり、いじめは正当化されませんし、特に性加害などハラスメントが許容される時代でもありません。
まっとうな男性はそんな時代の変化に柔軟に適応し、「男性」である自分自身の潜在的な加害性を自覚します。
結果、まっとうな人権意識を持つようになります。
男は男らしく振る舞った方が、女は女らしく振る舞った方が魅力的に見える場合もあります。
しかし、世の中には、「男らしさ=野蛮、粗野、横暴」というふうな勘違いをしている男性が多いのも事実です。
たとえば、部下にパワハラをするのが男らしい振る舞いだと思っていたり、他人に対して威圧的に振る舞うのが男らしさだと思っていたりする男性は多いものです。
逆に言うと、そういう人ほど「わかりやすい男性像」へのコンプレックスが強く、だからこそ「有害な男らしさ」に依存してしまいやすい傾向があります。
本当の勝ち組は、「わかりやすい男性像」に依存する必要がなく、自然体です。女性の前で無理に男らしさを演じることもありませんし、父親になっても「父親の威厳」を保つことにこだわりません。
「男らしさ」をはじめ、本物の勝ち組はあらゆるロールモデルを必要としないのです。
さて、ここまで本物の勝ち組の特徴を、男女別に解説してきました。
鋭い方は既にお気付きかもしれませんが、本物の勝ち組はそもそも「勝ち組・負け組」という概念で生きていません。彼らは物事や人を勝ち負けで判断していないのです。
大半の人は、見た目の良し悪しや収入、資産、職種、影響力などさまざまなスペックを競いながら生きています。
競争の舞台に立つのが当たり前と思い込んでいるのか、格差を生む舞台へと自ら上がりたがります。
この背景には、承認欲求や処罰欲求など、さまざまな我欲があります。
他人を使って我欲を満たすのが当たり前になってしまっているわけです。
ところが、いわゆる「本物の勝ち組」は、そもそもその舞台に上がりません。なぜなら、競争しなくても自分自身の揺るぎないアイデンティティを確立しているからです。
そして、我欲を他人に預けず、自分でコントロールし処理する知恵や教養を身に着けているからです。
ここで冒頭の質問へと立ち返ります。
「あなたは勝ち組になりたいですか?」
不毛な争いや、呪いのような固定観念から解放された人は、この問いに対して「どちらでも良い」と答えるでしょう。
彼らは「No」とすら答えないはずです。
「本物の勝ち組」とはつまり、社会や他人など他者が定めた価値観に依存せず、自分なりの価値観をしっかりと確立している人です。
人を格付けし、ヒエラルキーで判断する競争社会でなく、人と心を通わせることに重きを置き、「勝つこと」ではなく「幸福であること」を目指す共創社会こそ、私たちが真に目指すべき舞台なのかもしれません。
Written by はるお