「自分勝手な人」は嫌われやすいものです。しかし、自分勝手な人ほど自分自身の自分勝手さに気付いていないものですし、まっとうな人でもつい無意識的に自分勝手な行動をとってしまうことがあります。
今回は、非常識な人の特徴と併せて、人をイラつかせる失礼な行動を筆者の体験から5つご紹介します。
はじめに、失礼な人に共通して見られる特徴をご紹介します。
失礼な人のもっとも典型的かつ象徴的な特徴として、「他人の気持ちを考えない」という点があげられます。
他人の気持ちを考えない人は、自分本位に行動するため、他人を不快にさせたり迷惑をかけたりします。
他人の気持ちを考えない人はそもそも他人と共感しようとしませんから、あらゆる行動において協調性が見られないのが特徴です。
また、悪意をもってこのような行動をする人には、他人をマウントしようとしたりコントロールしようとしたりするタイプが多いのも特徴です。
問題やトラブルが起こったとき、「自分に非はなかったか?」「見落としている原因は他にないか?」「もしかして相手には自分が知らない事情があるのかもしれない」といった想像力をはたらかせず、直情的に相手を責めたり非難したりする人も要注意。
こういうタイプは「自分が正しい」という歪んだ前提で行動するため、話が通じないケースが多いのが特徴です。
深刻なトラブルであれば司法の力を借りて法的解決を図るのがおすすめ。それ以外は「関わらない」のが一番です。
「自分の非を決して認めない=謝らない」というのも、失礼な人に共通して見られる特徴です。
見方によっては「プライドが高い」というふうに見えるかもしれません。しかし、実態としては「自尊心が低い」のが原因なのではないかと筆者は分析しています。
おそらく謝れないタイプは、これまでに「自分の非を認め、素直に謝罪することによってより建設的な人間関係を築けた成功体験」が皆無です。
加えて、これまで人からダメな部分を指摘されたり、一方的に嫌われたりした経験も多いはず。
こうした背景により自尊心が低く、他人に対して素直に心を開くこともできない状態にあります。「謝ったら自分の非を認めることになる。それは「自分には価値がない」ということを自分自身で認める自殺行為だ」と思っている人もいるかもしれません。
「謝らない」に輪をかけて良くないのが「言い訳をする」ことです。
言い訳とはつまり自己弁護であり、「自分に問われている罪は不当である」と説明・主張する行為です。人に迷惑をかけておきながら「不当である」なんて言われたら、誰だって気が悪いですよね。
しかし、中には「単に事実を説明しているだけで、言い訳をしているつもりはない」という人もいます。動機や理由がどうあれ、自分の罪を素直に認めて謝罪なり賠償なりせず、「その扱いは不当である」とする以上、相手を納得させられるだけの材料が必要です。
そして一番必要なのは、「なぜ迷惑をかけたのかを説明すること」ではなく、まずは「どうやって責任をとるか」ということです。
小さなトラブルであれば謝意を表明することで落としどころをつけますが、大きなトラブルであれば賠償内容などについても相談する必要があります。
これらをしない人が「言い訳ばかりする失礼な人」と捉えられるのは当然といえば当然です。
さて、ここからは特に「無意識で人をイラつかせちゃってるかも…」という人にご覧いただきたい内容です。
人をイラつかせがちな代表的な失礼行動をピックアップしたので、ご自身の行動と照らしながら読んでみてください。
人の話を遮る人は単純に失礼ですし、話を遮られた方は不快な思いをするので嫌われます。
しかし、「話したい!」「伝えたい!」という思いが強すぎると、誰でもやってしまいがちな失敗でもあります。たとえば弁護士であろうとジャーナリストであろうと医師であろうと、議論の場において相手の話を遮ってしまう人は少なくありません。
つまり、感情のコントロールが難しくなったとき、人は相手の話を遮りがちであるということなのかもしれません。
どんなときも冷静に、まずは相手の話を聞いてから対話に臨みたいところです。
たとえば「スーパーの通路で立ち話をする」「歩きスマホをする」「公共の場所で騒ぐ」など。
スーパーの通路で立ち話をしていれば通行の邪魔になりますし、歩きスマホは人とぶつかるなど事故につながる可能性があります。公共の場所で騒ぐと人の迷惑になることも。
自分の行動が他人の迷惑にならないか、周りに迷惑をかける結果にならないかといったことに思いを馳せ、協調性のある行動を心掛けましょう。
ルールというのは、社会生活において秩序ある行動をするために必要なものです。
もっとも遵守すべきルールが「法律」で、その次に各コミュニティにおけるローカルルール(たとえば各家庭の門限や、地域のゴミ出しルールなど)があり、そこから枝分かれするように各種「マナー」が存在します。
いずれも「安全」な社会を作るために必要なもので、多くの人は「安心して暮らせる社会の実現」を目指し、これらを守りながら生活しています。
「ルールを守らない」というのは、安全な社会を脅かす存在であることを表明するようなものですから、多くの場合は嫌われます。
ルールを無視した行動そのものが他人を不快にさせるので、最低限として「法律」と「ローカルルール」、そして「マナー」は守りたいものです。
「約束を守る」「借りた物は返す」など、当たり前の約束を守るのは、マナーよりも基本的な社会人としての常識です。
できるだけ多様性を受け入れ、人を許すことを意識している筆者も、約束を守らない人だけはどうしようもないと感じています。
たとえば、筆者は以前、人に貸した自転車や本、CD、ゲームなどがボロボロの状態で返ってきたことがあります。人に貸したお金が返ってこなかったことも。
これらに対して「弁償しろ」とは言いませんでしたが、これを機に縁を切ったケースがほとんどです。
物を粗末にするだけでも抵抗があるのに、まして他人の物を粗末にするというのは、筆者からすると貸した相手の想いや、その人との関係をも粗末にするようなもの。
「約束を守らない」という行為は、相手を侮辱することに等しいとても失礼な行為なので、どうしても約束を履行できない場合は、せめて報告・連絡・相談するなりしましょう。
矮小化(わいしょうか)とは、実際よりも低く評価することです。たとえば「そんなことで怒るの?」「そんなことで悩んでいるの?」「これくらい別にいいでしょ?」などが典型的です。
相手の悲しみや苦しみ、怒りなどを「たったそんなことで」と切り捨てるのは、とても失礼な行為なので、心当たりがある人は今日からでもすぐに改善に努めるのがおすすめです。
ちなみに筆者は悩むことがほとんどないせいか、悩んでいる人に対して「そんなことで悩んでるの?」と思ってしまいがち(もちろん口にはしませんが)なので、悩みを相談された際などに相手を傷つけてしまわないよう気をつけています。
狭い日本とはいえ、意外とローカルルールや常識は、地域や業界やコミュニティによって大きく違うものです。
あっちの業界では当たり前だったらマナーが、こっちの世界では失礼にあたる──という極端なケースも珍しくありません。
大切なのは、ルールやマナーを画一的に記憶するのではなく、相手や場所に応じて柔軟に対応しながら、臨機応変に適応することです。
人間関係も相手によって一人ひとりとの付き合い方が違うように、社会もまたコミュニティやチーム、組織の数だけ常識や当たり前があります。
新しい常識もしっかりと吸収して適応し、平和的で良好な人間関係を構築しましょう。
Written by はるお