「メンヘラ女子」が恋愛するときに気をつけるべき点【ひとみしょうの余談ですみません】

「メンヘラさん」を「さん」を付けて呼ぶべきか、「メンヘラ」でいいのか、よく分かりませんが、敬称略でいきます。メンヘラ、つまり精神的に不安定な人の中には、本当に心に病を抱えている人もいるので、メンヘラに関するコラムは、本来は専門家が書くべきだろうと思います。

が、軽いメンヘラに対しては、素人である僕が何かもの申しても許されるかもしれないと思い、今回は、メンヘラ女子が恋愛する時に気をつけるべき点について、一緒に見ていこうと思います。

メンヘラって、例えばこういう人だと理解しています

メンヘラって、例えばこういう人だと理解しています

軽度のメンヘラって、例えば、大学の通信過程にいます。以前から精神的に不安定で、それゆえ通学過程の大学受験(センター試験とか)が上手くいかず、結局、受験なしの通信課程で学ぶことにしたというわけですね。通信といっても、授業をやっている大学もあり、そこに通う軽度のメンヘラさんもいます。

そういう人を見て、まず思うのは、「普通に生きる」の「普通」をやるのに、人の何倍も労力が必要なんだろうなあということです。

例えば「普通」の人は、普通に友達を作ります。がしかし、メンヘラは誰かに普通に声を掛けることができない。そういう自分を本人も知っているから、メンヘラは一人用の席に座って授業を受けます。教室の壁際にある一人用の席に座って授業を受けます。一人で授業を受けて、一人で帰るんですね。

そういう女子が、稀に声を掛けてくれて、恋愛の話をしてくることがあります。恐らく、たまたま躁状態だったとか、なんらかの心身の変化があって、声を掛けられたのだろうと察します。

彼女は淋しさをたくさん抱えているんですね。だからその淋しさを消してくれそうな人と付き合おうとするそうです。それで上手くいくこともあるそうです。声を掛けた相手も、偶然淋しさをたくさん抱えていて、お互いの淋しさが良い具合に化学反応を起こして上手くいくこともあるそうです。

でも大抵の場合、淋しさに端を発した恋愛はそう長続きすることなく、結局、自分で自分のことを苦しめることになり、自傷行為に走ってしまうとか、鬱がより酷くなって学校に来れなくなるとか、そういうことに。

メンヘラの状態で恋愛する時に気をつけるべき点

メンヘラの状態で恋愛する時に気をつけるべき点

メンヘラの状態で恋愛する時に気をつけるべき点は、相手になんらかの救いを求めすぎてはいけない、ということです。

が、これはもちろん、ある種の綺麗ごとです。メンヘラであってもなくても、人は恋愛対象になんらかの救いを求めるものだからです。救いを求めて当たり前だし、救いを求めない恋愛は恋愛ではないからです。

でも、メンヘラは、その救いを求めすぎるというところに問題がある。だから恋愛対象の「人となり」を見極めるのに失敗する。また、求めすぎるから、相手が「この子、精神的に重たいな」と思って、ドン引きしてしまって、音信不通になる(=すぐに振られる)。

……というところまでは、メンヘラであるあなた自身がよく分かっていますよね。

ではどうすれば「普通の」恋愛を楽しめるようになるのでしょうか?

どうすれば「普通の」恋愛を楽しめるようになるのでしょうか?

どうすれば「普通の」恋愛を楽しめるようになるのでしょうか?

1つには、自分がメンヘラであることを、自分で認めてあげるしかない、ということが言えると思います。どうにかしてメンヘラの私を、普通の私に「変えないといけない!」こう思っていると、メンヘラ度はどんどん深くなります。

メンヘラじゃなくても(普通の人の中にも)、自分で自分のことを「変えたい」と思っている、つまり「別の人間になりたい」と思っている人がいます。そういう人と恋愛するのは、とても大変です。恋愛じゃなくて普通に友達や、仕事仲間として付き合うのも大変です。

今の自分の生き様を肯定できていない人と付き合うのって、大変なんですね。なぜなら、その人の中で(その人の脳内で)、感覚と意識のバランスが極めて悪いからです。

感覚というのは経験のことです。究極的には意味を持たせることのできないこと、それが感覚です。例えば、海辺で綺麗な夕陽を見て「綺麗」と思う。このことに意味はないでしょ? 「綺麗」は「綺麗」です。そこに意味を持たせてもいいけど、夕陽、つまり自然は「ただそこにあるもの」だから、究極的には意味はないでしょ?

他方、意識とは、言葉の世界のことです。意識がないと言葉を発することができないから。わたしたち人は、感覚の世界と意識の世界とのバランスをとりつつ生きています。

メンヘラの人は、感覚が死んでいることが多いですね。逆説的にいえば、「全て」のことに意味を持たせようとする。

例えば、メンヘラの人と話をしていたら、自分のことばかり言う人がいます。目がかすむとか、耳が聞こえない時がある、口の中が渇くなど。そして、医者に行ってもなにもしてくれないとぼやきます。目や口や耳は、外部からの刺激を感じる為にあるにも関わらず、彼女は外部からの刺激をシャットアウトして、自分の「内なる声」しか聞いていない。だから鬱っぽい。

全員が全員、こうじゃないですよ。あくまでもそういう人を例に挙げた、ということです。

世の中の多くの人は、実はメンヘラなのです

「普通」をやるのに、ものすごくストレスを感じる人に、外に出て色んな場所に行って、色んな人と触れあいましょうというのは酷なことだと分かっています。メンヘラとして恋愛するにあたって、「淋しいから恋愛する」というのはよしましょう、というのも、酷なことだというのも分かっています。

でも自分にできる範囲で、自分の心と身体と相談しながら、できる範囲でそう意識すると、少しずつ恋愛できるようになります。なぜなら、外に出て色んな場所に行くという経験が、あなたの感覚を育ててくれるからです。

大胆に言い切ってしまえば、メンヘラであってもなくても、「別の人間に生まれ変わりたい」と思っている時点で、その人は(どんなに「普通」に見える人であろうと)メンヘラです。だから、世の中の多くの人は、実はメンヘラなのです。

でも多くの人はなぜか偶然にも、奇跡的にも、普通に暮らせる程度のメンヘラです。「なぜか」「偶然にも」「奇跡的にも」です。何か努力したからメンヘラにならなかったわけではないんですね。生の偶然性と奇跡性をなぜか、どのタイミングか分からないけど、感じとった故、「普通に生きているように見える」だけのことです。

あなたの心身に無理のない範囲で、あなたも、自分がいま生きている偶然性と奇跡性を感じることができれば、少しずついい恋愛ができるようになると思います。

お互い、がんばって生きていきましょう。

※参考 『死に至る病』セーレン・キルケゴール(鈴木佑丞訳)講談社学術文庫(2017/4/10)

Written by ひとみしょう

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