教養がある人は、多くの人から愛されます。同じファッション、同じメイクをしていても、「教養」がある人とない人では断然「教養」がある人のほうが輝いて見えます。そのくらい「教養」は、女性を魅力的に見せてくれるものなのです。
では、「教養」がある人とない人の差はどこにあるのでしょうか。さっそくご紹介します。
「教養」とは、自分の知識を生活に活かすことができる能力のこと。
「教養」があると、視点や世界観を広げるために、自分なりにさまざまな工夫を凝らすことができます。
勉強して知識ばかりをインプットしても、それをアウトプットする機会がなければ頭でっかちになるだけ。実際にやってみたことがないのに、口先だけで立派なことを言う人は信用できませんよね。
「教養」がある人とは、知識に加えて、実際の経験が豊富な人のことです。
また、「教養」には、人格も含まれます。積極的にコミュニケーションを取って場を和ませたり、TPOに合わせて気配りができたり、自分も周りも気持ちよく過ごせるような雰囲気づくりが自然とできます。
教養を高めるためには、知識を得て満足するだけではいけません。学んだことを生活の中に取り入れるためのアレンジができる、頭の柔らかさが必要です。
また、「自分には知らないことがある」ということを知る必要もあります。謙虚な気持ちが、学ぶべきことを気づかせてくれるからです。
教養がある人をイメージしたとき、勉強がよくできる頭のいい人を思い浮かべることが多いと思います。
しかし、いくら頭が良くても、言われたことしかできない創造力のなさだったり、他人に対して思いやりがなかったりする人は違います。
勉強で得られる知識以外のところに考えが及ばない人は、教養がない人だと言わざるを得ません。
勉強ができるからといって教養がある人だというわけではないんですね。
「教養」がある人は、謙虚です。知らないことを素直に認めることができ、指摘されたことを素直に受け入れることができます。
反対に「教養」がない人は、傲慢です。自信過剰でプライドが高いので、人に質問することを恥ずかしいことだと思っています。
「教養」がある人は、なにか頼みごとをされたら、頼まれたことをやるだけでなく、その先を見越した行動ができます。
たとえば、デスクに書類を置くように頼まれたとき、適当にポンと置くのではなく、周りから見てきれいに見えるようにまっすぐ整え、順番まで揃えることもあります。
「教養」がない人は、言われたことを実行するのみ。たとえば、デスクに置くように頼まれた書類を、デスクの真ん中に、しかも作業中の書類の上にデーンと置くなど、配慮に欠けた行動を無意識にとります。
「教養」がある人は、相手や場面に合わせて、場を和やかにする振る舞いができます。必要なところで発言し、余計なことは言わないなど、感じよく愛想を振りまくことができるのです。
「教養」がない人は、愛想がよくありません。話を振られても不機嫌そうにムスッとしていたり、要らないことまでペラペラとしゃべり過ぎたり、とにかくすべてがマイペース。周りにいる人をうんざりさせてしまいます。
「教養」のある人は、自分の持っている知識や経験をひけらかすことはしません。
なぜなら、自分がまだ未熟だということを知っているからです。どんなに周りの人より優れたものを持っていても、自分にはまだ足りないものがあるという謙虚な気持ちから、もっと知識や経験を得たいと考えています。
一方で、「教養」のない人はとにかく自慢したがります。そうすることで優位に立とうと考えているのです。知識をひけらかしたり、身の丈に合わないブランド品を見せびらかしたり、注目されることで自尊心を満たそうとします。
「教養」のある人は、あらゆることに最後まで気を抜きません。
たとえば、話すときは言葉尻にまで気を使い、感謝を述べるときは「ありがとう」と目を見て伝えてから頭を下げます。なにかしてもらったらきちんとお礼をするし、やるべきことを途中で投げ出すことはありません。
自分の行動に最後まできちんと責任を持つことができるのです。
「教養」のない人は、やりっ放しということが多いです。意気揚々と始めたことなのに、結局他人任せにして放置したり、すぐに「無理」と諦めたりなど無責任です。
また、自分が起こしたトラブルでも「あなたが助けてくれなかったから」と、すぐに人のせいにする傾向もあります。
「教養」がある人とない人では、同じ格好をしていても、印象が全く違います。
外見だけ美しくても、内面が美しくなければ女性としての魅力は輝きません。「教養」がある人は、会話や所作から内面の美しさが自然と溢れ出しているのです。
本当に素敵な女性を目指したいなら、知識をつけること、品格を磨くことなどで「教養」を高める努力をしてみてください。
Written by さあや